お日待ち講検証
お日待ち講について、いつもブログにコメント下さるネロさんから
このような考察文が届きました。
さすがネロさん!
こんな頭いい読者に読んで戴いているんですから
身が引き締まります
お日待ち講での神前読経の謎、興味深く拝読しました。
民俗学、宗教学を専門的に勉強したわけではありませんので、
あくまでもネロの見解としてコメントします。
平安時代以降、 日本古来の八百万の神々と
大陸から伝来した仏教とが、深く結びつくようになりました。
神仏習合(しんぶつしゅうごう)と呼ばれます。
日本古来の神様と大陸伝来の仏様、
神社と寺院が同居する状態が生まれました。
神社に、僧侶が籍を置くこともあったようです。
柏原の八幡さんに、
本来仏教寺院にあるはずの仏塔
(三重の塔があるのも神仏習合の例です。
日本には、八百万の神様が居て、
そこに大陸伝来の仏教が入ってきて、
この神仏混在の状態をどう教義として、
説明するのか・・・・困った末に、
日本の神様側が折れて、
「実は私は本籍地のインドでは、
仏教の仏様の姿なのですが、現住所の日本では、
神様をやっていますから、両方ともよろしくね・・・」と
いうことに。
諸説ありますが、天照大神は、
観音菩薩、あるいは大日如来と同一視されています。
日本の神様は、特定の経典を持ちませんので、
仏教の経典を利用して読経することも、
明治以前は日常的に行われていたようです。
ただ、日本の神様としての姿として現れていらっしゃることを配慮して、
神前読経の際には「仏説」は、省くことにしたのでは・・・・。
神前で読経することは、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく・・・
日本の神道と仏教を分離すること)以前では、
広く行われていたようです。
いまでも、神前での読経することは、あるようです。
興福寺のHP参照してください。
石生でも、お日待ち講は、あります。私は参加したことはありません。
父の話では、以前は夜明けまでやっていたそうですが、
いまは、食事会として、簡素化されています。