息もできない
去年のキネマ旬報第一位
『息もできない』 をやっと観ました。
![2009-12-01-eiga-1[1]](https://www.wakushika.jp/staff-blog/wp-content/2009-12-01-eiga-112-231x300.jpg)
言いようのない悲しみで胸が締め付けられます
「生きる」こととはかくも辛く苦しいものなのかと、
間違いなく自分の人生を振り返り、
その幸せをかみしめることになるでしょう。

人を殴ることは自分を殴ること
そのことに気付き、
やっと拳を下ろせた者に待っているのは、
「人を殴るやつは、自分が殴られるとは思っていない」
と自身の語る原理原則

虐待をする親はすべからく自身も虐待の経験を持つ
この映画を観て、本当に救うべきは誰なのか
一見ハッピーエンドを装うエンディングの幸せな空気が
一変するそのラストに、
観客は愕然としながら、
暴力の輪廻を凝視し考えることになるでしょう
![息もできない[1]](https://www.wakushika.jp/staff-blog/wp-content/3c4c5778fef7bbd63ae847994c138d39-300x220.jpg)
ただ『告白』を観終わった後と違い、
「人は変われる」ことに安堵する反面、
犯した罪は自分を許さないという
事実に向き合わねばなりません。
![breathless3[1]](https://www.wakushika.jp/staff-blog/wp-content/breathless31-300x224.jpg)
人生は神様がくれたパズルだと言います。
与えられたパズルのピースは
それだけでは何の意味があって
どこにはめこめばいいのいかわからない。
しかしそれを捨て続ける限り、
いつまでも神様はその同じピースを
与え続けて下さる。
その人が気付くことを待ちながら。
そして気付いた人には二度と
ピースが与えられることはない。
![ikimo1130[1]](https://www.wakushika.jp/staff-blog/wp-content/ikimo11301-300x200.jpg)
この映画では降り注ぐように、
暴力というピースが散りばめられています。
それに気付いた時には、その罪ゆえ神に召され
ピースは自分の下ではなく、
次の人間に手渡されているという悲しい現実。
いや~本当にすごい映画でした。
![E7B39EE3838FE382A8[1]](https://www.wakushika.jp/staff-blog/wp-content/E7B39EE3838FE382A81-300x220.jpg)
それにしても今年は日本映画が
近年稀にみる豊作だったと思いましたが、
韓国映画の底知れぬパワーに圧倒されました。
低予算でこれほどまでのクオリティー
かつてのATG映画で日本が語るべき対象を持っていた
その熱のようなものが全編に漲っています。
なんという才能の宝庫なのでしょう。
![ikikaimain[1]](https://www.wakushika.jp/staff-blog/wp-content/ikikaimain1-300x300.jpg)
次から次に新しい監督が登場する韓流に、
ねたみにも似た畏怖を感じるのは私だけでしょうか。
それにしてもさすがキネ旬一位
決して観る時間を無駄にはさせません
