お日待ち講
もう2ヶ月も前のことなんですが、
私の中で謎が深まるばかりなので
今更ですが書きます。
皆さんのお日待ち講ってご存知ですか?
まあ相当な田舎でない限りないでしょうし、
聞いたことはあるんやけど・・・何?
私がそうでした。
太陽崇拝信仰行事で、
各戸持ち回りでお宿をつとめ、
祭壇にお日待ち講の掛け軸をかけ、
御神酒、御飯をお供えし、一晩中飲めや唄えで
五穀の豊作、家内、字内の無病息災を祈願する
らしい。
しかしそれでは忙しい若い者が継承してくれるはずもない
とばかりに毎年簡略化して、
今では町内の当番の家でしばらく祈願して、
近くの食堂で懇親をはかり、そのまま三々五々
太陽は自宅の布団の中で二日酔いで拝む
なんてことになっています。
ところが若い頃は、
無理やり町内への顔見せのようにひっぱり出されて、
ただ長老の言われるままに疑問を持たずに
正座していましたが、
この年になると自分の家の持ち回りも近いとあって、
何で?という疑問が浮かびます。
それは神事であるはずなのに、
なぜか手に般若心経
「仏説 般若心経」の「仏説」だけ飛ばして、
三度拝読するのです。
何故こうなったのかを参加者に聞いても、
「昔からの伝統」
「前に仏説と読んだら、年配者に叱られた」
「読むものがなかったから、手元にあったものを読んだんちゃう」
など到底納得し難い話ばかり
家に帰ってウィキぺディアを開いてもお日待ち講さえ出ていません。
元を辿れば結構いい加減な理由だったりして
まあ神様を拝むにも、
人間様の都合ばかりで趣きを変えることを考えると、
あながち「手元にあったから」なんてのが冗談じゃないかもです。
ご存知の方いたら教えて下さいませ