「桐島部活やめるってよ」
去年書いていたレビューなんですっかり遅くなりました。
![kirishima01[1]](https://www.wakushika.jp/staff-blog/wp-content/kirishima011-300x212.jpg)
追われる時間を無理やり横に置いてでも、
クレジットタイトルまで余韻に浸ることを
良しとする映画がある。
ミステリーなのか青春群像なのか、
私たちは姿が見えない「桐嶋」という
紛れもない主人公を追いかけながら、
この映画のもたらす不可思議な余韻を味わうことになる。
皆がその時代に少なからず感じたことのある、
「あの感じ」に心をヒリヒリさせながら。
人生は他人と交わりながらも
それぞれに自分だけのものであろう。
それが青春時代とあっては、切り取られるものは、
より鋭く自分の視点を中心にして尖っていく。
同じ「金曜日」が、同じ風景が、
その立場であんなに違って見えていたことを、
今更ながらにこの映画を通して思い起こさせられる。
それが自分の心のすべてを支配していたことが、
中年のおじさんになった今では
単なる思い出に過ぎないことも、
言いようのない口惜しさとして残ってしまうことも
衰えた証拠か。
![pic_xl_kirishima[1]](https://www.wakushika.jp/staff-blog/wp-content/pic_xl_kirishima1-300x214.jpg)
変に感傷的なことを書いてしまったが、
この映画は観るもの一人ひとりにとって、
違う景色を見せてくれることだろう。
当たり前の青春時代の日常の風景は、
こんなにも退屈で、こんなにも自堕落で、
こんなにも抑鬱的で、こんなにもドラマチックで、
こんなにも甘酸っぱい代物だった・・・
よねって。
つまり今でも自分の靴を脱いで、
人の靴を履いてみれば、
こんなにも景色が違って見えることを教えてくれる。
ミステリーとして、
クレジットにさえ姿を現さない「桐嶋」を早く見せろ!
なんていう欲求は、いつの間にか
それぞれの「桐嶋」を通した青春の輝きに
埋もれて消えてしまった。
「きっと映画監督にはならない」という彼の瞳が、
映画監督を目指していた当時の自分と違って、
輝きすぎやろ!って
ひとり突っ込みを入れている自分がいて気恥ずかしい
でもいい映画です。
私とっては間違いなく。
きっと皆さんにとっても
