丹波市 「わく歯科」の院長BLOG

丹波市 歯科 わく歯科

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院長BLOG

私の故郷自慢 ~『柏原病院の小児科を守る会』が教えてくれたこと~

先日保険医協会から「私の故郷自慢」のコーナーの執筆依頼がありました。 頑張って書いたのですが、後で3分の一に校正してくれとのこと 最初に文字数を考えていない私が馬鹿だったのですが、3分の一ともなると 何を削るかより、何を残すかで本当に悩みました。 これが実際の記事なのですが、悔しいので、原文をこのブログに載せます。 少し長いですが、皆さん読んでくださいませ。   秋の丹波と言えば、松茸、黒豆、栗にぼたんと自然の恵みの宝庫です この時期だけはネオンのない我が山里を、恨めしく言う人はいません。 今やそれに恐竜までが加わり、週末ともなると、 殺風景な川沿いの土手をスコップ片手の人が多く出没します。    ところが数年前、ここは生まれることも死ぬことも、 ましてや助かることも出来ない地域になろうとしていました。 人が安心して住めるためには、自然の恵み以上に、 教育、医療などのインフラの充実は必須です。 特に高齢化の著しい地方においては、なおさら病院の存在が重要とされます。  丹波に限らず全国の地方都市で、医療崩壊が叫ばれるようになって数年。 奇跡と呼ばれる医療再生の物語がこの丹波で起こりました。

「柏原病院の小児科を守る会」の活動です。

この活動の本質こそが、 我が地元の最も誇らしい精神を備えていると考え、ご紹介致します。  2007年4月5日、地元の丹波新聞に衝撃的な見出しがおどりました。 「兵庫県立柏原病院の小児科存続危機 小児科実働医『0』も」 小児科2人の勤務医の一人が、院長職を引き受けたことで、 残された小児科医の負担が大きくなりすぎ、退職を願いでたことによる記事でした。 実はその小児科医こそが、私の幼なじみ和久祥三その人だったのです。    私はすぐに和久祥三を、同じく同級生の里博文(皮膚科開業医)と ともに食事に誘い出しました。そこで彼の窮状を聴いて、 医療者が中心になった「丹波医療再生ネットワーク」(代表 里博文)を結成。     「医療崩壊」という言葉すら知らなかった私たちは、 その実情を知る中で、当初は市議会議員や市長、知事に至るまで 「丹波の医療を救え!医者をよこせ!政治が何とかしろ!」と 外部への圧力団体として活動していたのです。 きっと多くの人が私たちを煙たがっていたことでしょう。   丹波では、 時を同じくして子どもを持つ主婦7人による 「柏原病院の小児科を守る会」が結成されました。 彼女たちが市民に訴えたことはたった3つです。

①コンビニ受診をやめましょう 

②かかりつけ医をもちましょう 

③お医者さんに感謝の気持ちを伝えましょう

当初そんな生易しいスローガンでは何も変えられないと、 私たちは失笑していたものです。  ところがその運動の力を、しばらくして私たちは思い知らされることになります。 柏原病院を疲弊させていた夜間のコンビニ受診は激減し、 一次医療機関への適正受診がなされ、 患者さんから「ありがとうございました」との言葉を頂戴する機会が増えたのです。  街を走る車には「地域医療を守るのはひとりひとりの心掛け」と 書かれたステッカーが溢れかえり、商店街にも同じ幟が風にはためきました。 彼女たちが作った「病院に掛かる前に」と題された受診チャートは、 子どもを持つ家庭に常備され、むやみに病院に掛かる前のツールとして、 本来の二次医療が守られたのです。  すると退職を願い出ていた和久祥三先生の折れ掛けた心が 繋ぎとめられたばかりか、その活動に心動かされた全国の小児科医が、 学閥を越えて柏原病院に集まってきたのです。 0になるはずだった小児科単科で現在7人の医師を有するほどになりました。 するとさらなる奇跡が連鎖します。 その活動を聞き付けた当時の舛添要一厚労大臣が、 この柏原病院に視察に訪れたのです。 ついにあのか細い小さな声が、大きな山を動かした瞬間でした。 傍でそれを観ていた私たちは気付かされたのです。 私たちの矢印がいつも外向きであったことに対して、 彼女たちの矢印がいつも自分たちに向いていたことを。 そして学びました。

人の心を動かすのは、

命令や規則や圧力ではなく

相手の立場に立てる思いやり であることを

 

人を変えるのではなく、

自分たちが変わらなければ何も変わらないことを

 

「ありがとう」や感謝の言葉は、

争いや憎しみを生みださないことを

  それからというもの私たち自身の活動も変わりました。 誰かに陳情する前に、まずは自分たちの出来ることを探すようになったのです。 住民に健康教育と医療問題を周知頂く目的で、 月に一度『ざわざわカレッジ』と銘打って講義を開催し、 「支え隊」の皆さんは柏原病院の先生方に、 毎週手作りのお弁当を持ち寄るようになりました。 そこには丹波の四季折々の自然の恵みがふんだんに詰め込まれて、 先生方に喜ばれています。  小児科を守る会は、丹波に住む私たちに大切な心を教えてくれました。 これこそ丹波のかけがえのない財産でしょう。  厚労省の役人が言った言葉が今でも忘れられません。 「私たちはどこの地域に行っても責められてばかりです。 ところが守る会は違いました。何かご要望はと尋ねると 『何もいりません。私たちの活動を見守って下さい』と。 彼女たちのために何が出来るか、私の立場で真剣に考えています。」  自分に向けられた矢印   その矢は必ず人の心にも刺さります。