丹波市 「わく歯科」の院長BLOG

丹波市 歯科 わく歯科

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院長BLOG

東日本大震災で私たちに出来ること

人の人生には本当の意味で3回しか苦難はないそうです。 一回目は産道という狭く暗い道を通り、 命がけでこの世に生を受ける誕生の時です。 3回の最後の苦難は死の時を差します。 そして残された後の一回は、 人が生きる中で唯一起こるそうです。 つまり何度も辛い、死にたいと考えるような出来事があっても、 それは人生の本当の苦難ではないというのがこの教え。 今東北の被災者の皆さんは、 お亡くなりになられた人、生き残られた人、 全ての人々が3回の苦難の真っただ中のはずです。 この国難ともいうべき有事に 何が出来るかを常に考えています。 そんな中茨城県の菊池先生からこのようなメールを頂きました。 『 菊池です。 無事です。ご心配をおかけしました。 市内での死者は一人でした。 古い家は全壊しているところもあるようです。 M9.0と修正になり、阪神淡路の1000倍のエネルギーと聞きました。 私のところは、震度6強  本当に幸運にも、家族、スタッフ、患者さん 特に人的被害はありませんでした。 先ほど、ようやく電気が復旧し、ようやく携帯やガスも使えるようになりました。 やっと、ネットもつながりました。 まだ水道の復旧は見通しが立たず、診療再開のめども立ちません。 本震のときは まさにインプラントの外科中でしたフラップを開けて、ピエゾで骨を割って、若木骨折させて、さてドリリングをやっているとき ”あれ”がきました。 スプリットクレストのウエッジを3個入れたまま、患者さん(60歳女性)は私の右腕にしがみつき、 泣き騒ぎ、私は左手で、頭上の外科灯が落ちないように押さえていました。 メインアシスタント、サブアシスタントも悲鳴を上げながら、 周りの物を押さえている状態。 やがて、診療所内のあらゆるものが倒れてきました。 すべてのカルテ棚、保管庫、模型棚、本棚 床がすべて埋まってしまいました。 ユニット脇の2m四方のフィックスのサッシ窓が落下 患者さんの治療中、30cm隣でした。 受付のカルテ棚が雪崩を起こして 中にいた二人はとっさにカウンターを越えて逃げられた。 本当に棚の下敷きにならずに済んだのは幸いでした。 受付にいた患者さんの目の前に、60CM水槽が倒れ、待合室中が水とガラス(と魚)で 診療室中が悲鳴に包まれました。 鉄筋コンクリート2階建て まさかここまで揺れるとは予想だにしませんでした。 全員外に脱出した後、無事を確認できてほっとしました。ただし、余震が続き、診療室内に戻ることができません。 駐車場の真ん中に、7cm程度の断層ができていました。 30分程度、様子をみてから とにかくフラップを閉じようと、再度患者さんを中に入れて 余震の中 縫合となりました。 ドラマ医龍のような状況となりました。 こんな感じです。 水が復帰しないと診療再開できないので 数日かけて 診療室の片付けをやる予定です』 <a href="http://blog.livedoor.jp/kikuchidental777/archives/51333603.html これを読んだとき、歯科関係者で仕事を失われた方も 大勢おられることに気付きました。 自分たちに出来ること。 それは現地での医療活動や義援金だけでなく、 仕事や住む家を失われた方々に 復興までの足がかりになる、 生活の基盤を提供することも出来る。 いつも勉強しているMMGという スタディグループのメンバーに連絡すると、 皆快く引き受けて下さいました。 <a href="https://www.m3.com/eqboard/detail.jsp?eqboardId=347 震災から一週間が過ぎ、 新聞のテレビ欄が通常番組に戻っていくのを見ながら 忘れられることの恐怖を自分でさえ感じずにはおれません。 阪神大震災のときも、隣の大阪でいつものように輝くネオンや パチンコ店の喧騒に言いようのない憤りを感じました。 しかし逆にこんな狭い日本でも、隣人がしっかりと立ってくれている ことは、被災者にとって心強くもあるはずです。 後は人の忘却能力との戦いでしょう。 人は忘れるから生きていける。 しかし忘れるから罪深い。 交通や通信が回復すると、そこから人の動きが始まります。 被災者を受け入れるインフラの整備と 温かく迎える心の準備がこれから必要になります。 新聞の紙面が金融ショックや政治の話に置き換わっても その裏面に、家や仕事を失い、行方不明者を探す人が いつまでも大勢おられることを忘れてはいけません。