ベッキースキャンダルに思う
院長がべっぴんブログに乱入してまで書きます。
 
今やサイトのどこを開いても、ベッキー批判の嵐です。
まるで好感度タレントの鬼の首を取ったかのような、
魔女狩り的空気が充満しています。
逆に擁護しようものなら炎上必至の感さえある怖さを
感じますが、敢えて書かせて頂きます。
人は多面的な生き物です。
心に天使も居れば悪魔もいます。
ベッキーの今回の件については、
弁明の余地は確かにないかもしれません。
しかしそれだけで彼女という人格を、
全て切り捨てることが果たして許されるのでしょうか?
 
ベッキーはきっとこれまで、
周囲の人々に優しくもしてきたでしょう。
目の前の大きな荷物を抱えたおばあちゃんに、手を差し伸べ
同僚に差し入れをして、困り事に相談も乗ってきたでしょう。
両親を敬い、ボランティアにも参加して、
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彼女の笑顔で救われた人も多かったはずです。積んできた徳の数々さえも否定するような、 今回の人格否定報道は、 「だってあいつが悪いんやもん!」と いじめを容認するような子供の 世界と何が違うのでしょうか。 もしベッキーが自死するほど追い込まれたら、 その口から出るいじめ問題について語る言葉に、 嘘はないと言えるのでしょうか。 誰しも人には見せられない、 心のlineの一つや二つあるはずと思います。 目の前の人を、一面だけで切り取る 傲慢さこそ危うく感じるこの件。 試されているのは私たちの方ではないかと 思わずにはおれません。