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この前家に帰ると、家族が浜田の「どや顔」を観ていました。
私は初めて観たのですが、その時のゲストが、
前田清の息子や松方弘樹の娘が出ていて、
到底信じられないセレブリティ―な話を披露していました。
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風呂が7つもあったり、
家に花火師を呼んで豪華な花火をしたり、
1000円のお年玉を冗談と勘違いしたりと、
悲しい話のオンパレードでした。
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松下幸之助が自分の成功は
「学歴がないこと、体力がないこと、貧困だったこと」をあげています。
学歴がないことで、素直に人の話を聴くことが出来た。
体力がないことで、人に任せることが出来た。
貧困だったことで、少ない給料にも感謝することが出来たと。
どんなことに幸せを見いだせるかは、その人の心が決めます。
半分しか入っていない水を、十分と考えるか、
不十分と考えるかはその人次第。
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風呂が在り過ぎると、家族で一番風呂に入る
順番を考えることもありません。
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花火がそんなに簡単に打ちあがるなら、
寄付金を募ってまで存続する花火の有難みもありません。
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1000円のお年玉を笑ってしまうなら、
何年か越しで貯めて買うおもちゃも大事にしません。
自分の心のコップがいっぱいになるからこそ、
他の誰かにこぼれた滴を分け与えようと思うもの。
最初からそのコップに穴が開いているのでは、
そんな気持ちにはなりません。
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松下幸之助も、最初は松下200年計画で
「この世から、物質的な貧困をなくす」ことを目標にしていました。
ところが85歳にして松下政経塾を立ち上げました。
それは物質的な充足の果ては、
精神的な貧困が訪れることを予言していたのでしょう。
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松下幸之助もこの「どや顔」を観ていたら、
きっと悲しい気持ちになっていたはずです。
一バラエティー番組に噛みついている、
自分の大人げなさもどうかと思いますが、
道端に咲いているタンポポを踏みつけて前に進むより、
それを立ち止まって美しいと感じられる感性を養いたいものです。